池田太一 明治3(1870)〜昭和21(1946) 

築上郡(旧)内で長く校長を務めた。話がうまく公演でも授業でも聴く人を退屈させなかった。真面目で誠実正直な人柄で、正は正、邪は邪とする判断に迷いは無かった。 

上毛郡岸井村(黒土町岸井)に父・安平、母・タネの三男として生まれた。幼名・泰一郎。千束小学校、明親小学校(千束藩庁跡)、梶屋小学校を経て、明治13年、豊津中学八屋分校に入学し、15年7月、中学五級を卒業した。

同年12月高田小学校教員に就職、22年に福岡県尋常師範学校に入学した。

26年3月卒業、4月に久路土高等小学校に赴任した。(以上の履歴は自筆の覚え書による) 

横武小学校長(明治34年)、南吉富小学校長(同38年)を歴任、抜擢されて筑紫郡視学(同44年)となる。

大正2年(1913)、南吉富実業女学校(五ヶ村組合立、築上東高等学校の前身)が新設されると迎えられて校長に就任、後の県立移管の基礎を築いた。

大正10年、高等官七等待遇に昇進、従七位に叙せられた。同年黒土尋常高等小学校に転任し推されて郡の小学校長会長となる。

大正13年30数年来の教職を去り、田川郡社会主事に転出、15年、郡役所の廃止によって退職、赤池鉱業所健康保健主任を最後に退職、帰郷した(昭和3年3月) 。

帰郷の後は区長、村議会議員、村中央部落会長などを務め、村政に協力したが、ここで一大決心を起こし、郷土黒土村の歴史と現況を記録し始めた。

永年の努力により稿本ながら「黒土村誌」は次第に体裁を整えてきたが、筆者の病没によって未完に終わった。しかし昭和初年に郷土史に着眼し、多くの基礎資料を発掘記録したこの労作は貴重である。