高橋喜七郎 慶応3(1867 )〜昭和9(1934) 

馬術の達人として知られ、陸軍大学校馬術教官に任ぜられた。同校で久邇宮邦彦王殿下に馬術を指南申し上げた。磊落寛容の気性で長者の風格があった。

村政には進んで協力しその円滑な運営に貢献した。

黒土村(町)大字高田の岡崎篤行の二男。長じて高橋庄蔵の養子となる。

明治24年(1891)陸軍士官学校を卒業し騎兵少尉に任官、26年入籍した。日清・日露の戦役には朝鮮に出征、凱旋後、陸軍大学校馬術教官に任命された。

その後、弘前、盛岡の騎兵連隊長を歴任、明治45年騎兵大佐に進級ののち待命となった。

大正9年(1920)11月、豊前東部三郡で陸軍特別大演習が行われた時、邦彦王殿下は特に高橋邸にお泊まりになり、樅の木のお手植えを賜った。 また殿下の息女・良子女王が昭和天皇の皇后として入内の際、お邸に招かれ記念に女王の御帯の下賜などがあった。

晩年は無外、馬渓、慷庵などと号し筆硯に親しみ刀剣会長に推されたりしたが、その間にも村の名誉助役となり黒土産業組合長を務めるなど円満な村治のためには労をいとわなかった。

昭和9年春、病気療養中のところ他界し村葬をもって送られた。