浦野岩吉 明治3(1870)〜昭和23(1948) 

八屋町長在職28年余りに及び、郡制時代には西吉富村々長・鶴田正夫、椎田町々長・平塚又十郎とともに郡内町村長の三羽烏とその実力を謳われた。

八屋町下町に浦野増平の二男として生まれた。豊津中学八屋分校に学ぶ。

明治28年(1895)4月、町会議員に当選、在任13年。また30年9月、郡会議員となり大正10年まで在職25年。明治38年4月、町長に就任、昭和8年7月まで勤続した。

明治35年9月、松江浦漁業組合が設立されると同年12月、浦野町長は八屋浦漁業組合(昭和19年に漁業会となる)を発起して、自ら組合長となった。さらに42年12月、当地方では最初の信用組合が大村に創設され(大村信用組合)、つづいて八屋信用組合の結成を見たが、双方の組合長を浦野町長が兼務した。

大正5年(1916)9月、福岡県町村長会幹部に選ばれ、昭和8年8月まで勤続し、大正7年には築上郡教育会評議員に推され、同15年、築上郡町村長会長に就任した。

昭和8年、町長辞任の時は県連合信用組合理事、豊前海水産組合長、県水産組合長など大小およそ20の役職を兼ね、郡内はもとより県下にその実力が知られてる。豊前市初代市長・浦野浩はその二男である。